人生後半の思考の整え方|比較・嫉妬・批判を減らして、軽やかに生きる訓練

アラフィフになって思う。

性格の土台そのものは、もう大きくは変わらないのかもしれない。

私は昔から、よく考えるタイプだった。
人の言葉の裏を考える。
自分の言動を振り返る。
比較もするし、嫉妬もするし、批判的な気持ちが出ることもある。

内省が強い。
それは私の長所でもあり、しんどさの原因でもある。

若いころは、それでもよかった。
考えることが前進につながる時期もあったし、自分を奮い立たせる力にもなっていたから。

でも人生後半に入って思う。
この先30年以上生きるとして、ずっと同じように思考をこねくり回しながら生きるのは、少し疲れる。

だから最近、ひとつ思った。

性格を変えるのは無理でも、思考の扱い方なら少しずつ整えられるのではないかと。

比較しない、ではなく「比較しても長居しない」

よく「人と比べないことが大事」と言う。
たしかにそうなのだと思う。

でも、比較しないなんて無理だ。

人間はどうしたって比べる。
友達の暮らしぶり。
見た目。
お金。
子ども。
仕事。
自分が持っていないものを持っている人を見れば、心が動くのは自然なことだと思う。

だから私は、「比較しない」を目標にするのはやめたい。

その代わりに、

比較しても、そこに長居しない。

そういう訓練をしたい。

「あの人はいいな」と思ってもいい。
「私はまだこうだな」と感じてもいい。
でも、その思考の中に住みつかない。

少し思って、終わる。
それだけで、心の消耗はずいぶん違う気がする。

批判しない、ではなく「批判に住みつかない」

誰かを見て、もやっとすることはある。

「なんでそんなことするんだろう」
「なんであんな言い方なんだろう」
「それはちょっと違うんじゃない?」

そう思うこと自体はなくならない。
私には人をよく見る癖があるし、観察してしまう性格だから。

でも問題は、そのあとだと思う。

ひとつ引っかかったことを、何時間も考え続ける。
相手の言動を何度も思い返す。
頭の中で反論したり、分析したりする。

これが疲れる。

だからこれからは、

批判しないことを目指すのではなく、批判に住みつかないこと。

そう考えたい。

「そういう人なんだな」
「人それぞれだな」
そこで一度、終わりにする。

深掘りしすぎない。
相手を理解し尽くそうとしない。
それもまた、自分を守るために必要なことなのだと思う。

嫉妬しない、ではなく「嫉妬しても自分を責めない」

嫉妬もまた、なくそうとしてもなくならない感情だ。

うらやましい。
いいなと思う。
自分にないものを持っている人に、心がざわつく。

そんな自分を見て、さらに嫌になる。
「こんなことで嫉妬するなんて」と、自分を責める。

でも最近は、それもやめたいと思うようになった。

嫉妬すること自体は、悪いことではない。
それだけ自分が反応する何かがあるということだ。
本当は欲しいもの。
本当は気にしているもの。
自分の中の欠乏感や願いが、そこに表れているだけかもしれない。

だから、

嫉妬しても、自分を責めない。

「ああ、私はここに反応するんだな」
そうやって静かに見つめるだけでいい。

責めるより、知る。
その方がずっと軽い。

人のことを深掘りしない

私は人を観察するのが好きだ。
というより、勝手に見えてしまう。

この人はこういうタイプ。
あの人はこういう不安を抱えていそう。
なぜこういう言い方をするのか。
どんなコンプレックスがあるのか。

そういうことを、つい考える。

それは面白さでもあるけれど、疲れの原因にもなる。

特に長時間人と会ったあと、私はその人のことをずっと考えてしまう。
会話を振り返り、分析し、意味づけして、ひとり反省会をする。

でも人生後半は、もう少し雑でもいいのかもしれない。

人のことを深掘りしない。

わからないことは、わからないままにしておく。
相手には相手の事情がある。
全部を理解しなくていい。

見えることが多い人ほど、見すぎない練習が必要なのだと思う。

自分を証明しなくていい

これも、私にとって大きなテーマだ。

私はたぶん、人から「お金がなさそう」「苦労していそう」と見られたくない気持ちが強い。
ちゃんとしていない人だと思われたくない。
みじめに見られたくない。

そういう防衛が、自分の中にある。

でも、その防衛が強いほど、人はずっと何かを証明し続けないといけなくなる。

私は大丈夫。
私はちゃんとしている。
私は負けていない。
私はそれなりにやれている。

その証明をずっと続けるのは、しんどい。

だからこれからは少しずつ、

自分を証明しなくていい。

そう思える時間を増やしたい。

全員にわかってもらわなくていい。
全員に評価されなくていい。
見せなくていいものまで見せなくていい。

それだけでも、心はだいぶ軽くなる。

人生後半は「思考の滞在時間」を短くしたい

性格は変わらない。
内省の癖も、たぶんなくならない。
お金への執着も、簡単には消えない。

でも、思考に居座る時間は短くできるかもしれない。

  • 比較しても、長居しない
  • 批判しても、住みつかない
  • 嫉妬しても、自分を責めない
  • 人のことを深掘りしない
  • 自分を証明しなくていい

そうやって、思考の滞在時間を少しずつ短くしていく。

それは劇的な変化ではない。
でも、人生後半を軽やかに生きるための、静かな訓練にはなる気がする。

アラフィフ、今さらではない。
アラフィフ、今だからこそだ。

人生100年なら、50年のひとくぎり。この先の30年、いや50年を、少しでも穏やかに。
少しでも軽く。
ふふん♪、とまではいかなくても、以前よりは気楽に生きられるように。

そんな思考の整え方を、これから少しずつ身につけていきたい。


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